労(労働者)使(使用者)
となりの柿の木が隣家の敷地に枝を伸ばしている場合柿の実の権利はどちらのものか?
といった法律知識って知るとおもしろいですよね。
先日、資格予備校で労使紛争の「社労士バトル」なるイベントを行いました。
最高裁の判例をもとに、こういったトラブルの場合「労働者」と「使用者」で勝つのはどちらか?
というテーマで労働者側についた社労士と企業側についた社労士がバトルを展開するというもの。
社労士を志すものであれば一度は考えるテーマです。
社労士として企業側につくか。労働者側につくか。
はたして正解はあるのでしょうか?
何故、対立することが前提?
何においてもトラブルはつきものです。
感情というものがある限り、小指の先ほどの小さなトラブルが裁判に至ることはままあることでしょう。
それを前提にすれば、誰のためにトラブルを解決するのかによってどちら側という発想は生まれますが、そもそも労働者と会社(使用者)ってそんなに対立関係にあるものではないと考えます。
先日ブログで労働時間について書きました。会社側の労務管理の方法の紹介だったので、あえて言うなら私は会社側の社労士です。いかに法律に違反することなく、労働者にたくさん働いてもらい、なおかつ残業代を削減しようと言っているわけですから。
でもですね、
労働者をたくさん働かせよー!
残業代をごまかそー!
なんてことをお伝えしたいのではないのです。
だって少なくとも私が関与しているお客様(会社)はそんなことを求めていないから。
例えば長時間勤務について、何故相談があるかというとスタート地点はスタッフ側の希望であることが多いのです。
こういう希望が出ているんだけど、それが「あり」なのか「なし」なのか。
その判断をするためにわざわざ社労士にお金を払っているのですよ。
それを思う時、労働者側、会社側といったさも対立前提である視点がむなしく思われます。
社長のひとこと
かつて私もサラリーマンでしたので、新規部署の立ち上げを任され、それこそ寝食を忘れ仕事に没頭した時期がありました。
そんな私にある時社長がこう言いました。
「いつも遅くまでただ黙って仕事してくれるあなたを誇りに思っています。ありがとう」
この言葉を皆さんはどう受け止めますか?
私は当時、雇われる者としてとてもうれしかったです。
自分に与えられた責任を果たそうと必死に取り組んでいた自分を、社長はちゃんと見ていてくれた!ということが。
社労士となった今もこの時の感覚は大切に思っています。
会社が従業員をちゃんと見ていること。
これってつまり労務管理ですよね?労働基準法的に言えば。
法律で語れば、従業員の労働時間を管理することは使用者の義務である。
ですが、もっと愛ある考え方をすれば従業員ひとりひとりがどのように頑張っているのかにいつも目を向けている。
ということです。
労働時間(残業代)のトラブルはもしかしたらこの「目」が足りない時に起きるのかもしれませんね。
社長の気持ちの見える化
社労士としてもうひとつ言うのなら、遅くまで働くことを評価していたとしたら少し残念に思います。
日本では特に、私生活を犠牲にして何かすることを美しく捉える傾向があります。
畳の上では死ねない。親の死に目に会えない。
など、そのくらい働いていることがかっこいいという風習が今なお残っているように思います。
でも時代は変わりました。
残業しなければならない効率の悪い仕事の仕方を改善することに経営者の方々はもっと目を向けてほしいです。
「残業代を削減するテクニックを教えてほしい」
もちろんテクニックは色々ありますが、そもそも残業がなければ余計な費用はかからないので目を向ける先を変えれば解決していきますよ。
過酷な労働をしなければ評価されない会社ではヒトの問題がいつまでたっても解決されません。
前述の社長は過酷な労働を強いる人ではありません。仕事の結果でどんどんお給料を上げてくださる従業員をよく見ている社長でした。
ただ、仕事の結果で評価するにしても、たくさん時間をかけた結果と少ない時間で出した結果の評価に違いを見せないと、従業員側が勝手に「頑張らねば」と残業の日々を作り出してしまうかもしれません。
そうでないなら、短い時間で効率良く結果を出す仕組みを従業員側がどんどん自分から見つけていくようになるでしょう。
社長の心持ですよね。
効率も法律も、その会社において機能させるには社長がどのような考えをもっているのかが「見える」ことが大切なのだと思います。
で、どっち?
会社側なのか労働者側なのか
お金をもらう先ではなく、社労士の職責で考えるなら
労働者→会社
だと思います。
働く環境をよりよくしたいと思う気持ちがなければ会社に対して何のアドバイスも思いつかなくなります。
その結果として会社に売上・利益の動きにつなげていくことが私の社労士としての「おしごと」です。
法律というものを紹介するひとでも、どっちかの味方になって相手を攻撃する人でもありません。
トラブルがあるから敵だ味方だという考えになるのだから、社労士はその考えを失くしていく人でなければならないと思っています。